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コラム 裏元町HISTORY その10

元町賑考

元町を識る資料


資料は語る

 元町の歴史を知る方法は写真や動画といった映像情報そして記録文字情報など、数多くある。中でも開港150年を記念して2008(平成20)年に発行された「横濱元町古今史点描」は元町基本資料として最もまとまった書籍といえるだろう。約370ページに、横浜村の原風景から開港によって劇的な変化を遂げ、昭和に至る元町の歴史を丹念に文字資料から拾い起こし元町商店街の変遷をわかりやすく紹介している貴重書である。
 この資料は文字だけでは無く、画像資料として戦前の手彩色絵葉書や明治期の人物録も紹介することで多角的に元町像を想像することができる資料集でもある。
 今回この「横濱元町古今史点描」から大いなるヒントを得て、いくつかの戦前資料から元町のにぎわい史の断片を抽出してみることにした。題して「元町賑考」。
 戦前の元町出店マップを作成してみた(右下参照)。作図結果はかなり細かくなってしまったので詳細は別の機会にして、ここではマップ全体の傾向を見て欲しい。

元町史の特徴

 開港のために村全体が移動再編しなければならなかった元町は、関内居留地と山手居留地、運河と橋、丘と坂とに挟まれた(増徳院)門前町からスタートした。運河には桟橋機能を持った階段護岸(雁木)がいくつか設置され、幕末に設置された谷戸、前田、西の三つの橋が元町と居留地を結んだ。その後、西ノ橋まで路面電車が走り、麦田トンネルを経由して本牧へと延伸すると交通拠点となる。震災で増徳院が移り、震災後は商店を軸にした街が形成され現在に至る。

坂と橋とにぎわい

 下記マップは明治・大正・昭和初期に発行された「横濱姓名録」と大正・昭和期の資料「横濱商工案内」等、四つの商工関係資料を元にして、地番毎にプロットしたものである。
 基本数年分のデータ範囲内ではあるが、全体を俯瞰してみると開港によって新しく形成された元町は、橋と坂を軸線に商店が発展してきたことが改めて実感できる。
 個別に見ると代官坂はかなり上部から運河桟橋に行き着くまで、商店が集中していることが判る。代官坂下の桟橋設置時期は不明だが、ここに千葉からの定期便が発着していたというお話も伺ったことがある。堀川は戦後まで東京湾房総水運航路として活用されていた。
 次に、前田橋から百段を繋ぐ<百段通り>が一目瞭然、所狭しと繁盛店が並んでいる。資料の範囲内ではあるが元町で最もにぎわいがあったと想像できる。特に元町百段は震災前まで元町の観光名所でもあったこともあり明治期から多くのお店がこの通りに出店していたと思われる。
 残念ながら元町百段は震災で被災し復活することはできなかったが、その後もこの通りは元町の重要な交差点となっている。
 谷戸坂付近は開港後イギリス・フランス両軍の駐屯地でもあり、明治期にも早くから店が立ち並んだ。(現在は山手町に換地)
 さらに貝殻坂と代官坂が交わる現在の元町公園付近に旅館がまとまっていたのも興味深い。港を遠望できる景色の良い宿だったのかもしれない。
 今回は大雑把に紹介したが、さらに深堀りしていくと元町のにぎわい風景がさらにはっきりしてくるだろう。戦後運河が街の要素から消えてしまったが、谷戸橋近くに新桟橋計画も進む中、橋から坂へと繋がるにぎわいも確実に復活しているように感じる。路地裏活性が、商店街のにぎわいの根っこにあるのは間違いないだろう。


戦前元町出店地番マップ(位置は正確ではありません)


横濱界隈研究家河北直治

横濱界隈研究家。横浜路上観察学会世話人。趣味は市内徘徊、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破、市内全駅下車など歩くことが大好き。